日本一の里山林 日本一の里山林

黒川の里山林の特徴

黒川のコナラ林、アカマツ林などの里山林は燃料革命によって他の地域と同様に里山放置林へと変わりましたが、クヌギ林は、室町時代以来の茶道用の道具炭としての需要があったので、現在まで里山林としての利用が続いています。里山林として持続している黒川の里山林は1990 年代よりいくつかの論文や冊子に取り上げられるようになり、2003 年には服部(2003)によって「日本一の里山林」として初めて位置づけられました。また、兵庫県のレッドリストへの登録(兵庫県1995)、里山100 選や環境省の里地里山500 選の1つとして認定のほか、日本森林学会の林業遺産および川西市の天然記念物にも指定されました(表1)。

さて、里山林自体は全国に広がっているにもかかわらず、なぜ黒川の里山林が日本一なのでしょうか。その理由は、他の地域で絶滅した里山林が現在も続いているからといった事だけではありません。以下にまとめたように7 つの条件から日本一の里山林と位置づけられたのです。

1.歴史性・記録性

猪名川上流域における里山林の利用・炭づくりの古文書の記録としては勝尾寺文書(1182 年)が最初です。黒川における里山林の記録として、「山手米取」という慶長5 年(1600 年)に記された黒川村の山からの収益に対する徴税記録があげられます。この古文書は山からの収益、つまり薪炭などの生産が山で行われたことを示しているので(P.21 参照)、これは黒川の里山林の存在を示した最初の資料と考えられます。

黒川だけではなく、猪名川上流域の各村(現在の大字)に保存されていた延宝検地帳(1679)には村における「くぬぎ山」、「松山」、「柴山」、「草山」などの土地利用の面積が記されています(川西市史編集専門委員会 1976;服部ほか 1995)。

それらの村の中で「くぬぎ山」の存在している村を表2 に示しました。たくさんの村の中でクヌギ林の記録されている村は下阿古谷、一庫、国崎、黒川、吉川の5 村でしたが、驚くべき事は、それらの村々すべてに現在も多くのクヌギ林が分布していることです。

さらに、黒川村内の「くぬぎ山」の分布を同じ黒川村の延宝検地帳で調べてみると、大堂山と石打山に「くぬぎ山」の存在が記されていました(P.23 参照)。大堂と石打には現在も立派なクヌギ林が分布しています。明治10 年(1877 年)の黒川の薪炭林の分布(P.24表5参照)は、明治10 年の薪炭山の分布地と現在のクヌギ林の分布地がほぼ同じであることを示しています(表4)。

このように黒川のクヌギ林の系譜は16 世紀までたどることができるのです。近畿の里山林はどこの地域でも弥生時代に起源していると考えられますが、具体的にどのように利用されてきたのか、どこに分布していたのかといった記録はほとんどないため、里山林の由来等がわかりません。その中で里山林の由来を少なくとも16 世紀までたどることができるのは黒川以外ではほとんどありません。

古書籍の記録としては、表3 に示した江戸時代の29 の古書籍に記された内容[一庫炭(池田炭)の産地、一庫炭は切炭であって、その断面が菊花状なので菊炭とよばれたこと(写真3)、品質が良く炭の火持ち、香りが良いこと、炭の原木がクヌギであること(写真4)、クヌギ林は輪伐であること、台場クヌギが存在したことなど]があげられます。これらの古書籍の炭の記述より一庫を中心とする地域で生産された炭は日本一であることがよくわかります。さらに、クヌギ、輪伐、台場クヌギなどの炭の生産に係わる記述は本地域一帯の里山林の重要性を浮かび上がらせます。

2.文化性

豊臣秀吉や千利休が茶会で一庫炭を賞用したことなどに始まる一庫炭(池田炭)の茶道への利用は、江戸時代には29 の古書籍に記されているように、最高級の道具炭としての名声の確立へとつながりました。家庭用などの需要が望めない木炭ですが、一庫炭は茶道との歴史的な結びつきから、現在も道具炭生産が続けられています。木炭を生産することは里山林を利用することですから、茶道という日本の文化が里山林という地域の遺産を守ったと言えるでしょう。

写真3. 一庫炭の断面(菊花状)

写真4. 一庫炭の原木・クヌギ材

3.景観性

里山放置林ではなく本当の意味での里山林は前述したように輪伐をするので、伐採直後の林分( 一まとまりの樹林)から伐採直前の林分まで様々な林齢の林分がパッチワーク状に分布しているのを見ることができます(図5)。黒川では伐採後約10 年程度で再び伐採するので、林齢0 年から林齢9 年までの10 の異なった林分が互いに連続してパッチワーク状に配置されています。パッチワーク状里山景観は今から60 年ほど前は日本全国で見られた景観であり、特に貴重なものではありませんでしたが、現在ではほとんどすべての里山林が里山放置林となっているので、黒川以外では本来の里山景観を見ることがたいへん難しくなっています。

4.特異性(台場クヌギ)

落葉樹の優占する一般的な夏緑二次林(夏緑里山林)では普通地際の高さ10 〜 20cm 程度で幹を伐採・利用した後、その切り株から発生した萌芽を大きく生長させて、10 〜 30 年後に再びその萌芽由来の幹を伐採するという作業が繰り返されます。ところが猪名川上流域ではクヌギ林の場合、地際より高さ0.5 〜 2m で幹を伐って高い切り株(台)を作り、その台から発生した萌芽幹を約10 年で伐採・利用を繰り返すということが行われています。このような伐採方法をとると、クヌギの切り株(台)は大きくなって胸高直径で1m にも達するような大株のクヌギに生育します。このような台作りのクヌギは台場クヌギとよばれ、ヨーロッパのポラーディングと同じ頭木づくりといわれています(図8、写真5)。

写真 5. 黒川奥瀧谷の台場クヌギ(川西市指定天然記念物)

台場クヌギは北摂山地一帯、京都市周辺、滋賀県、山梨県などにも点在していますが、猪名川上流域以外ではその個体数は少なく、分布の中心は猪名川上流域、特に妙見山を中心にした地域にあります。クヌギの文献上の記録は古事記や万葉集(万葉名はつるばみ)にさかのぼりますが、台場クヌギとしての記録は広益国産考(1844年)の「クヌギはひとかかえ以上」という記述(表3)にとどまります。

台場クヌギが生まれた理由は良くわかっていませんが、

  1. 台からの萌芽幹の生育が早いこと
  2. 台からの萌芽のため、地表より生育する雑草、雑木に日照をめぐる競争で勝ること
  3. シカの食害を受けにくいこと(シカの食害対策であれば、高い台に統一されているはずであるが、食害を受ける低い台も多いので、この説は誤り。またシカは近年急増したが20 〜 30 年前まではほとんど分布していなかった)
  4. 台が大きくなって目立つので境界木として利用できること
  5. 里道の横、耕作地の横など狭い土地の有効利用できること(萌芽幹が高い位置にあるので、里道横に台場クヌギがあっても、その萌芽幹の下を通行しやすい)
  6. 台から発生する多数の萌芽枝を刈敷(刈り取った草や枝の若葉等を水田に敷き込み肥料とすること)や柴として利用すること


などが考えられます。

黒川における台場クヌギは大上、大谷、大原、尾ノ上、口瀧谷、奥瀧谷、大堂などに集中的に分布しており、中でも大谷、大堂、大原、口瀧谷、奥瀧谷には広い面積の台場クヌギ林が成立しています(表4、P.18-19 図9)。奥瀧谷の能勢電鉄所有の台場クヌギ林は2014 年に日本森林学会の林業遺産に登録され、また2017 年には川西市の天然記念物に指定されました(表1)。

5.生物多様性(クヌギ林の種多様性)

クヌギ林はたくさんの昆虫の生息の場となっています。
クヌギの葉を食べる昆虫としてはオオミドリシジミ、アカシジミ、ウラナミアカシジミなどのゼフィルスとよばれる蝶類の幼虫、ヤママユガ、ウスタビガなどの蛾類の幼虫、コフキコガネなどのコガネムシ類の成虫などがあげられます。
生きたクヌギの材をシロスジカミキリ、ミヤマカミキリ、アカアシオオカミキリなどの幼虫が、クヌギの枯木や朽木をミドリカミキリ、ヨツボシカミキリ、キイロトラカミキリ、シラホシカミキリなどの幼虫が食べます。
クヌギの樹液、特に台場クヌギの樹液にはクワガタムシ類としてはオオクワガタ、ヒラタクワガタ、アカアシクワガタ、ミヤマクワガタ、ノコギリクワガタ、コクワガタ、ネブトクワガタ、スジクワガタの8 種類、コガネムシ類としてはカブトムシ、コカブト、クロカナブン、アオカナブン、カナブン、アカマダラコガネ、キョウトアオハナムグリなど、チョウ類としてはオオムラサキ、ゴマダラチョウ、スミナガシ、ルリタテハ、サトキマダラヒカゲなど、その他コメツキムシ類、ゾウムシ類などのたいへん多くの昆虫が集まります。
クワガタムシの成虫は樹液を餌としていますが、クワガタムシの幼虫はクヌギなどの腐朽の進んだ材を食べます。オオクワガタのような大型のクワガタムシの幼虫にとって台場クヌギの材は最高の餌場であり、生息地です。クヌギの自然林やクヌギの自生個体を探して全国をまわりましたが、発見できませんでした。クヌギは自生種ではなく、飛鳥時代以前に有用樹として大陸より導入されたと考えられます。したがって、クヌギの里山林(クヌギ二次林)の源は植栽に由来する人工林といえます。クヌギの植栽は、1870 年代に黒川村内にクヌギ苗を売る家が存在したという記録(P.26 参照)によっても証明されています。しかし、クヌギが導入種であっても、クヌギ林が人工林に由来するとしても、クヌギがこのようにたくさんの生物が生育・生息できる生態系を形成しているのはたいへん興味深いことだと思います。

6.生物多様性(群落の多様性)

黒川には前述したようにクヌギ林だけではなく、コナラ林、アカマツ林、アラカシ林などの里山林にも分布しており、それらは残念なことに里山放置林化していますが、里山林の多様性からみるとこれらの3 タイプの樹林の存在も大切です。里山林ではありませんが、里山林に隣接あるいは少し離れた立地にエドヒガンとエノキが各々単生あるいは群生しています。前述した黒川村の延宝検地帳には「くぬぎ山」のほかに「柴山」、「草山」の存在が記されており、エドヒガン林、エノキ林の立地はどうやら「柴山」、「草山」に由来するようです。延宝検地帳や延宝6 年の「稲地村と山論、立会絵図」(P.23 写真20 参照)に「草山」が存在したとされている「大土」に黒川ではもっとも発達したエドヒガン林が分布していることはそのことを証明しています。「柴山」、「草山」の植生ですが、「柴山」は燃料や肥料(刈敷)を生産する低木林のことであり、「草山」は牛馬の飼料、屋根葺きの材料、肥料(堆肥)を生産するための草原でした。「柴山」、「草山」も里山と同様に昭和20 年代頃より利用価値が減少したために徐々に放置され、その放置した草原や低木林の中に、鳥による種子の散布によってエドヒガン(ヤマザクラ、カスミザクラも同様)やエノキが新入し、定着したと考えられます。

エドヒガンはサクラ属の一種で山地に自生します。全国で植栽されているソメイヨシノはこのエドヒガンとオオシマザクラの雑種です。大径木となるエドヒガンは全国で天然記念物に指定されていますが、個体数は多くありません。
川西市北部には比較的多く分布しているエドヒガンですが、武庫川流域や六甲山系にはほとんど分布していないように、兵庫県全体としてはたいへん珍しい樹木なので、兵庫県のレッドリスト(植物)のC ランクに位置づけられている絶滅危惧種です。
エドヒガンの分布には前述した「草山」、「柴山」という土地利用の他に、超丹波帯という崩れやすい地質や鉱山のずり(選鉱した後に出る廃石)などが関連していると考えられます。
そのエドヒガンの群生地が黒川には6 ヶ所も[口瀧谷・大芝(上杉尾根)、奥瀧谷(妙見の森)、奥瀧谷・大原(妙見の森ケーブル周辺)、大土(桜の森)、大堂、坊ケ谷]あります。この中で奥瀧谷(妙見の森)のエドヒガン群落は川西市の天然記念物に指定されています。

当地域のエドヒガンの中でもっとも巨木のエドヒガンは「出会いの妙桜」(写真6)とよばれています。奥瀧谷・大原(妙見の森ケーブル周辺)のエドヒガン群落も大径木が多く、ケーブルの黒川駅から見上げるエドヒガンの開花はすばらしいものです。中でもケーブルの中間地点南側に、ヒノキ林に隣接して生育するエドヒガンの花はたいへん鮮やかで美しいことから、そのエドヒガンに私は「さくらくれない」(写真7)と名付けました。

写真6. 妙見の森のエドヒガン(出会いの妙桜)

写真7. 妙見の森ケーブル周辺のサクラ.ケーブル沿いはソメイヨシノ、斜面部はエドヒガン.中央のエドヒガンは「さくらくれない」

 

写真8. 桜の森周辺のエドヒガン(ドローン撮影)

大土(桜の森)のエドヒガン群落(写真8)はヤマザクラ、カスミザクラも混生する猪名川上流域では最大規模のもので、申請があればすぐにでも天然記念物に指定できるほどすばらしい景観であり、開花期には毎年国道477 号(東郷バイパス)に車が連なり渋滞が起きています。巨木のエドヒガンは「黒川・微笑(ほほえみ)桜」、「村雲桜」とよばれています。
川西市内には黒川以外にも一庫公園、一庫ダム、水明台、国崎クリーンセンターなどにもエドヒガンは分布していますが、いずれも市民団体および施設管理者によって大切に護られています。奥瀧谷(妙見の森)は川西里山クラブ、大土(桜の森)は菊炭友の会によって保全されています。エドヒガンはクヌギ、ナラガシワと共に川西市の生物多様性(里山林)のシンボル『川西三種の心木』に生物多様性ふるさと川西戦略推進委員会で選定されています。
エノキもエドヒガンと同じように撹乱された立地にいち早く散布され、定着します。谷筋、川沿いなどに多く分布し、葉はオオムラサキ、ゴマダラチョウ、テングチョウ、ヒオドシチョウの幼虫の餌となり、材はタマムシの幼虫の餌になります。
エノキはブナ、コジイ、シロバナウンゼンツツジ、ユキヤナギと共に川西市の生物多様性(重要な自然)のシンボル『川西五ごぼく木』の一つに選定されています。

7.生物多様性(照葉樹林、夏緑樹林)

里山林が成立する以前の原植生は猪名川上流域では600m 以下が照葉樹林、それ以上が夏緑樹林であることは前述したとおりです。多くの地域では両者とも破壊されて、これらの自然林を見ることがほとんどできませんが、黒川では日本一の里山林と同時に自然林の照葉樹林、夏緑樹林(両樹林の直線距離はわずか2.1km)を見ることができます。

照葉樹林は黒川に隣接する大阪府豊能郡豊能町吉川の八幡神社に残されています。本社しゃそう叢の樹林はコジイの優占する低地部に発達するシイ型照葉樹林で、川西市平野の多太神社社叢のコジイ林と同じくコジイ-カナメモチ群集にまとめられます。本社叢は里山林(正確には里山放置林)に囲まれているので、秋期には紅葉した里山林と常緑の自然林の対比が美しく、人の手が加わる以前の自然林である照葉樹林と人の手が加わった二次林の里山林との違いを子ども達にも視覚的にとらえることができるので、里山林の見学場所としては最適です(写真9)。

写真9. 吉川八幡神社の照葉樹林(コジイ林)と里山林の対比

夏緑樹林は川西市黒川字奥山から大阪府豊能郡能勢町野間中の妙見山山頂付近に大切に保全されています(写真10)。本夏緑樹林は大阪府能勢町にのみ残存していると考えられていましたが、信田修次氏の2015 年の調査で隣接する奥山にも分布していることが明らかになり、2016 年には川西市指定の天然記念物となりました(能勢町側の夏緑樹林は1983 年に大阪府天然記念物に指定)。本夏緑樹林は200 本あまりのブナの大径木より構成されるブナ林で、表日本型の群集であるブナ-シラキ群集に位置づけられます。

写真10. 妙見山の夏緑樹林(ブナ林)

猪名川上流域では海抜600m 以上にかつてブナ林は存在したと考えられますが、現在は大野山(753m)、剣尾山(784m)にも残っておらず、これらの山地よりも海抜の低い妙見山に残されているのはたいへん不思議なことです。妙見山に残った要因は気温、降水量、地形、地質といった自然条件ではなく、信仰という人の心と関係していることに間違いはありませんが、具体的なことは不明です。ブナ林には日本で最大のウラジロノキや照葉樹林との境界付近に本夏緑樹林が位置していることから照葉樹林構成種のアカガシの超大径木の他、オオルリ、オニクワガタ、ヒメボタルなどの希少動物種も分布しており、たいへん貴重な生態系といえます。妙見山の麓にある八幡神社の照葉樹林と山頂の夏緑樹林という2 つの自然林の存在によって二次林である「日本一の里山林」の特徴がより鮮明に映し出されます。

能勢電鉄の妙見口駅より徒歩で吉川の八幡神社に行き、ここで照葉樹林と里山林の遠景を見学します。ケーブル黒川駅より大堂越えの里道を歩いて天然記念物の台場クヌギ林を観察し、再び戻ってケーブル、リフトを使って山を登り、妙見山の夏緑樹林や妙見の森のエドヒガンを見学するのが里山林を学習するのに最適なコースです。