黒川の今昔 浄瑠璃の碑

江戸から明治の頃にかけて黒川の人々の娯楽のひとつとして浄瑠璃があったことを伺い知れるのが、地域に残るこの3つの石碑です。黒川のお隣り、大阪府能勢町では民衆芸能として「能勢浄瑠璃」が大阪府無形民俗文化財の指定を受けており、そういった流れの影響も伺え、またこの浄瑠璃で他地域との交流が生まれていたことが見て取れるような、浄瑠璃に関する貴重な石碑です。(資料提供:大阪府文化財愛護推進委員 上山秀雄さん)

①浄瑠璃碑

碑銘:鶴澤喜太郎墓
建立:明治5 年2 月
場所:旧黒川小学校裏山

太夫名を名乗らず、指導者( 師匠) として後継者育成に励んだ喜太郎。同碑の台石には門弟中(13 名) の名が刻まれ当時大勢の浄瑠璃同好者がいたとわかる。

②浄瑠璃碑

碑銘:小畠弥蔵碑
建立:明治26 年4 月18 日
場所:北摂里山街道沿い旧里道
くずし文字のため、ふた文字目が難解(畠と読み下した)。台石に「門弟中」と刻まれている。北摂里山街道沿いの竹やぶの裾に建立されている。

③浄瑠璃碑

碑銘:竹本文楽碑
建立:大正9 年4 月
場所:能勢妙見山新滝道コース
中谷直治郎、良太郎の親族が顕彰碑( 追善供養) として建立。直治郎は鶴澤喜太郎の弟子で三味線を習い、竹本文太夫・竹本井筒太夫派・竹本中美太夫派いずれかの派に属していた。