キセキの里山・西谷 西谷の里山

西谷の地勢

宝塚市西谷は宝塚市の北部に位置し、300 〜 450m の丘陵が南北に連なっています。南西部の神戸市との境には千苅ダム(map.A3.4)や川下川ダム(map.B4)があり、千苅ダムからは波豆川が東に伸び、大原野で佐曽利川と大原野川に別れ、佐曽利川は北へ、大原野川は南へと伸びています。また、南部の川下川ダムからは川下川が北の境野まで伸びています。これらの河川に沿って狭いながらも平野部が存在しています。また、南部の武田尾では西宮市の境に沿って武庫川が流れています。このほか、川下川ダムの北方には緩やかな傾斜の谷があり、そこには丸山湿原群(map.B4)が存在しています。西谷のほとんどが丘陵地で占められているといえます。

玉瀬の里山

境野の里山

里山と人間

はげ山(丸山湿原群周辺)

はげ山(丸山湿原群周辺)

モチツツジ

コバノミツバツツジ

西谷の森林植生は、一部スギやヒノキの植林がありますが、ほとんどがコナラ林となっています。しかし、人間が定住する前は常緑のシイ林もしくはカシ林だったと推定されます。弥生時代になって、稲作が始まると人々は近くの山から採取してきた草木を堆肥として水田に入れたり、また、燃料をえるために山の木を伐採したりするようになりました。そのために、シイ林やカシ林が繰り返し伐採されるようになり、再生することができなくなり、アカマツ林やコナラ林に変わっていきました。さらに伐採が進んで、ついにはこれらの林も十分再生できなくなり、はげ山が増えていきました。この様に農業や人間の生活のために利用されてきた山を里山と呼んでいます。西谷でも芽吹きの頃、里山の柴を刈って水田に敷き柴として入れていました。さらに、燃料として、柴や炭を池田に出荷していました。しかし、里山は所有者がいるので自由には利用できません。里山など山林を所有していない人のために村の共有林というものがあります。西谷の南部の玉瀬、境野、大原野の三村では共有林は里山の三分の一あったようです。共有林の方が、利用制限が緩く、過度の伐採がおきやすく、はげ山になることが多くあります。はげ山になると土砂が流れやすくなり、川底が埋められ、洪水が起こりやすくなります。また、降った雨もすぐに流出し、一気に流れ出します。
一方で、傾斜の緩い谷は、流出した土砂で埋められ丸山湿原群のような湿地が形成されます。そこではコイヌノハナヒゲやイトイヌノハナヒゲなどが優占する群落が形成され、サギソウ、トキソウ、コバノトンボソウなど希少な植物の生育場所になっています。また、ハッチョウトンボ、ヒメタイコウチなどの湿地特有の昆虫も生息しています。

里山の利用と変遷

1950 年代から1960 年代にかけて、いわゆる燃料革命とよばれる時代で、エネルギーは炭、薪、柴などから石油、電気などに代わってきました。また、肥料も化学肥料に代わり敷き柴も必要でなくなりました。そのため、里山が利用されず、放置されるようになりました。その結果、里山ははげ山から回復し、アカマツ林になっていきました。1980 年代から1990 年代にかけて、マツ枯れが発生し、西谷のアカマツの大部分が枯れました。アカマツの枯れた後は、コナラ林に代わっていきましたが、林内にはヒサカキ、ソヨゴ、アラカシなどの常緑樹も増えてきました。アカマツ林にはコバノミツバツツジ、モチツツジ、ナツハゼ、コツクバネウツギ、ネジキなどの夏緑低木が多く生育していましたが、それがコナラ林に代わり、常緑樹が増えてくると、これらの夏緑樹は衰退してしまいます。そうなると林全体の種類数は少なくなり、生物多様性は低下します。また、林床に植物がほとんどなくなるので、雨が降ると土砂が流れやすくなり、災害が起こりやすくなります。

西谷の里山の植生

兵庫県のアカマツ林やコナラ林は大きく日本海型と太平洋型に分けることができます。日本海型のアカマツ林やコナラ林にはユキグニミツバツツジ、キンキマメザクラ、マルバマンサク、チマキザサなど多雪に適応した植物がよく出現しますが、太平洋型の林には出現せず、モチツツジ、ノグルミ、アベマキ、ネザサなどが多く出現します。西谷のアカマツ林やコナラ林は太平洋型になります。西谷の森林の自然植生に近いものとして、玉瀬の素戔嗚神社の社叢として残されているアカガシ林があります。樹高が30m を超え、かなり成熟した森だと思われますが、林を構成しているほかの種としてはサカキ、アセビ、ヒイラギ、ネズミモチ、ヒサカキ、アラカシ、シキミなどであり、全体の構成種は少ないです。里山林は燃料革命の後、生産林として利用されなくなりましたが、環境を保全する上では非常に重要です。丸山湿原群周辺で、ヒサカキやソヨゴのような常緑樹を伐採して、明るい林を作っています。今後、この様な作業を広めていく必要があるでしょう。