キセキの里山・西谷 里山が育んだギフチョウ

ギフチョウとは

チョウの春一番といえばギフチョウLuehdorfia japonica Leech です。チョウ目アゲハチョウ科の昆虫で、モンシロチョウよりも一回り大きいチョウです。黄色と黒のだんだら模様で、後翅の先端部あたりは赤・青・オレンジ色を散りばめた模様で、尾状突起がある神秘的な美麗チョウです。交尾後オスがメスの腹部末端に分泌物を塗りつけて受胎嚢を形成することでオスとメスの区別が容易です。
和名は古くはダンダラチョウなどと呼ばれたこともあったが、岐阜県で採集された個体につけられたギフチョウという和名が人々に知られるようになったといわれています。
兵庫県レッドデータではB ランク(絶滅の危険が増大しており、極力生息環境、自生地の保全が必要な種。環境省の絶滅危惧Ⅱ類に相当)に指定されています。宝塚市では西谷大原野の素盞嗚命神社社叢(map.B3)はギフチョウの生息地であり、市指定の天然記念物に指定されています。

西谷産ギフチョウ成虫

(1) 日本の特産種

日本の本州だけに生息する、いわゆる日本の固有種です。秋田県南部、長野県、東京都を結ぶ線(リュードルフィア線)より東側からシベリア東部・朝鮮半島にかけてヒメギフチョウが、西側にはギフチョウが、しかも局地的に分布しています。北限は秋田県仁賀保、南限は和歌山県粉河町龍門山、西限は山口県山口市長者、太平洋側では東京都下高尾山付近です。(図1)
兵庫県では1973 年の「兵庫探検」で紹介されています。分布図(図1)によれば県下全域で55 生息地が確認されていました。その後の記録は見当たりませんが、西谷では確実に半減しています。
宝塚市北部は昆虫マニアの中ではかなり古くから「武田尾のギフチョウ」として知られ、有名な産地でした。1970 年代まではシーズンになると国鉄の武田尾駅では捕虫網を持った少年たちに出会うことがしばしばありました。


図1 ギフチョウ、ヒメギフチョウの分布図

(2) 春の女神

多くのチョウは年間数回の発生をみますが、このチョウは年1 化性です。3 月下旬のスミレ類、ショウジョウバカマの咲く頃に羽化がはじまり、最盛期は4 月初旬でサクラ類(ソメイヨシノ)の開花時期とほぼ一致します。
出合えるのは年に一度だけ、しかもわずか2 週〜 3 週間程のチャンスです。他の虫たちもまだちらほらの早春に美麗な姿で出現することから、わたしたちは、“ 春の女神” と呼んでいます。

里山が育むチョウ

一般に草食性のチョウ類は成虫時代の食べ物としての吸蜜植物が豊富であることが生息条件として重要です。さらに重要な条件としては、幼虫時代の食べ物としての食草のカンアオイ類がなければ生きていけません。成虫と違って移動力の弱い幼虫たちが孵化後しばらくは集団生活しているところを、西谷の里山では観察できます。

ショウジョウバカマで吸蜜するギフチョウ


アセビで吸蜜する成虫


コバノミツバツツジの花に
口吻を差し込んで吸蜜する成虫

(1) 早春の植物に吸蜜

ギフチョウの成虫はサクラ類やスミレ類、ショウジョウバカマ、アセビ、コバノミツバツツジなどの花で淡紅色系に訪れ、吸蜜します。自然界ではアブラナなどの黄色系の花には来ません。したがって早春に咲く植物が豊富であれば成虫にとっては楽園です。
そこはクヌギやコナラ、アベマキ、クリなど夏緑樹が主体の里山です。木々が落葉した冬から早春には林床に太陽エネルギーが十分に注がれます。

カンアオイの葉裏に産卵

(2) 食草はカンアオイ類

 幼虫はウマノスズクサ科カンアオイ類の葉のみを食べて育ちます。西谷ではヒメカンアオイです。半日陰に生える多年草で、希少な植物です。3 月下旬〜 4 月上旬に発生した成虫は交尾をします。交尾を終えたメスは食草の葉裏に10 個前後の卵を次々と産み付けて廻ります。
ヒメカンアオイもクリ林など夏緑樹を主体とする里山林の林床に自生します。また、社寺林など照葉樹林の林縁部にも見られます。

(3) 蛹で過ごす10 ヶ月

約4 週間の幼虫期を経て、6 月には蛹化します。落ち葉の中の木の枝にくっついて蛹化していることも多く見られます。また土中のくぼみなども利用しています。飼育下では植木鉢様の容器を逆さにおいておけば、その中で蛹化することも多いです。
このように落葉中や土中の安全な場所を選んで、夏の高温と冬の低温に休眠という状態で過ごし、春の羽化時期を待つのです。
やがて翌年の3 月下旬の気温が上昇する頃、蛹化していた個体は羽化し始めます。他の多くの生物が活発に活動し始める前の天敵の少ない時期に羽化、交尾、産卵までの行動を終えてしまいます。

ギフチョウの保全は里山の再生から

ギフチョウ飼育ケージで学習会 宝塚市立宝塚自然の家内

ギフチョウは里山に育まれ、人々の生活する集落周辺で生き続けてきたチョウなのです。兵庫県では阪神地域をはじめ南部では戦後の都市開発で多くの自生地が失われていきました。丹波、但馬、北播磨などでは戦後、スギ、ヒノキなどの人工植林の増加によって自生地が激減しました。さらには1960 年代のエネルギー革命といわれる時期から里山が荒廃し、食草の自生地が減少していきました。
食草の自生地が減少することによってギフチョウの分布地が減少するのは当然です。さらに厄介なのはカンアオイ類は繁殖力が非常に弱く、一旦自生地を破壊されると回復の見込みは極めて低いのです。

先にも述べたように兵庫県下では40 年前には約55 ヶ所の生息地が知られていましたが、近年激減しています。都市周辺では宅地造成や道路工事など開発の影響をもろに受けます。
また、開発のみではなく、里山の” 人離れ” による荒廃によっても絶滅への道をたどった生物が多いのですが、まさにギフチョウはこの典型です。滅びゆくことをくい止める特効薬は見当たりません。増殖を試みている人もあるようですが、カンアオイ類の増殖が困難で、成功した話は聞きません。ギフチョウが絶滅への道を辿っていると思われることは確実で、里山林の適切な整備・管理及び文化林、環境林としての積極的な利活用などの保全再生が鍵であろうと思われます。

夏緑林の林床に自生するカンアオイに産卵

最近ではあちこちで飼育が試みられています。天敵から保護し、ある程度の増殖も可能で、さらには一般市民の環境学習の教材にもなっており、それなりに貢献度は高いといえます。しかし根本的な保全策は「里山の再生・保全」であろうと考えられます。このことは生物多様性の保全に繋がるのです。

食草 ヒメカンアオイ 地面すれすれの場所に開花

ギフチョウの生息地 宝塚市指定天然記念物 素盞嗚命神社社叢