キセキの里山・西谷 36 年ぶりに戻ってきたハッチョウトンボ 松尾湿原

生息地を追われた体長わずか2㎝の日本で最小のトンボがボランティアのたゆまぬ生息地保全活動によって36 年ぶりに戻ってきたことにより、物語が生まれました。物語の舞台は宝塚市立宝塚自然の家(map.B2)のフィールド内です。同施設の開設された1970 年頃は宝塚市北部の大原野一帯には大小の特色ある湿原が多数点在していました。その頃からマツ枯れ現象の蔓延と相まって里山が照葉樹林化し、圃場整備が進められ湿原は減少していきました。ところが当湿原は宝塚市立野外活動施設の敷地内であったために消失を免れ、物語は生まれました。丸山湿原群(詳細は20p)とは比較にならない小規模な湿原ですが、ボランティアのたゆまぬ保全活動によって確実に再生・復元の兆しが見えてきた湿原で、モデル湿原であり教材湿原ともいえる湿原なのです。

ハッチョウトンボ個体数調査

36 年ぶり 戻ってきたハッチョウトンボ

2012 年(平成24 年)夏、松尾湿原(map.B2)で36 年ぶりに兵庫県レッドデータC ランクに指定されている日本で最小(体長約2㎝)のトンボ・ハッチョウトンボが確認されました。湿原保全活動をしている宝塚エコネットの会員が発見したのです。この湿原でハッチョウトンボが見つかったのは、36年ぶりでした。ハッチョウトンボは丘陵地や低山地の湿原に生息し、日当りがよく浸出水がある環境を好みますが、全国的に開発などによる環境改変が進んで著しく減少した昆虫です。当湿原は1978 年に貴重な湿原性植物種も多数確認され宝塚市の天然記念物に指定されました。しかし指定時にはすでに湿原にハッチョウトンボの姿はありませんでした。ところが、その数年後から「サギソウの咲き揃う湿原にハッチョウトンボが飛び交う風景」を夢見て生態系ボランティアが宝塚市の支援を受けながら再生活動を長年継続し、夢がかなったのです。

ハッチョウトンボ オス

ハッチョウトンボ メス

松尾湿原は湧水湿原

丸山湿原群と比べると小規模ですが、松尾湿原も同様に湧水湿原です。宝塚市が用地買収をした1967 年(昭和42 年)当時はモウセンゴケが群生し、ハッチョウトンボが多数飛翔していました。その後1978 年に宝塚市は天然記念物に指定していますが、その頃にはハッチョウトンボ、カスミサンショウウオなどは確認されていません。1998 年、施設開設後30 年の間に遷移が進み指定当時の特色が消失しつつある状況を理由に一時は天然記念物指定の解除も検討されましたが、専門研究者から指摘を受け、「解除はいつでもできることだ。学術的に価値の高い文化財としての復元を試みることが最優先されるべきだ。」という結論に至り、兵庫県立大学服部保教授(現・名誉教授)の指導助言を受けながら宝塚市自然保護協会らのボランティア団体によって保全活動が始まったのでした。

1998 年5 月 松尾湿原全景

100年以上前の湿原へ 立ち上ったボランティア

ハッチョウトンボがすっかり姿を消してしまった松尾湿原でしたが、1998 年(平成10 年)頃から管理放棄が遷移の進行に関係していることも学びました。2004 年(平成16 年)から宝塚エコネット(TEN)も加わり、現在では主役として活動し、湧水湿原保全の実践家集団に成長しています。このような生態系保全活動は一般市民の参加も呼びかけて行われ、松尾湿原ではハッチョウトンボのみならず絶滅が危惧されるサギソウ、カキラン、ムラサキミミカキグサ、カスミサンショウウオなど、貴重な湿原植物・動物の生育も確認されています。この活動は多くの研究者、ボランティア団体、連携した地道な市民活動と宝塚市の支援による大きな成果だといえます。

ボランティアによる活動風景

湿原内の草原化を食い止める

1998 年当時は湿原内にハンノキ、ススキ、ネザサなどが侵入してきており草原化、森林化へと遷移している状態でした。30 年前にいたハッチョウトンボやサギソウなどの姿はありませんでした。30 年近い年月で植物遺体と周囲から流入する土砂によって、指定当時より約30cmもの堆積層が被う状況になっていました。周囲の樹木が成長して日照条件も悪化してきており、遷移は進行するばかりでした。保全目標を「湧水湿原の初期」に戻すこととし、「モウセンゴケやサギソウが一面に咲き、ハッチョウトンボが飛び交う湿原」に戻すこととしました。

常緑樹の伐採作業

秋季の草刈は欠かせない

復元を目指した保全作業

目標とする復元再生景観(形態)は「湿原の成立初期」の形態としました。主な作業は(1)周辺の常緑樹の伐採 (2)植物遺体の除去 (3)堆積層の掘削、除去 (4)種子の保存、栽培でした。

      1. 周辺の樹木伐採
      2. 湿原周辺の樹木がかなり成長したため、日照条件に影響を及ぼす樹木についてはコナラ、アベマキ、アカマツ、スギ、ヒノキなどを伐採しました。湿原の水源確保のためには集水域に豊かな森林が必要で、間伐は好ましくないとの考えは時代遅れでした。針葉樹が吸収する地中の水分が膨大であるため、水源機能としての効果はマイナスであるとの助言を受け、周辺部のスギ約20 本は全て伐採しました。その他ハンノキ、ソヨゴ、アラカシ、アカマツなど約50 本を伐採しました。2006 年に伐採したハンノキの樹令が約70 年であったことなどからも、この湿原がはるかに100 年以上前から存在していたことが明らかになりました。
      3. 植物遺体の除去
      4. 湿原は植物遺体の分解速度が遅く、流入土砂を含めると松尾湿原の場合一部は約30 年で約30cmの堆積層になっていました。したがって、植物遺体の除去は維持管理または復元作業では欠かすことのできない作業であると考えました。周辺部のネザサなどの刈り取りと枯れた植物の除去を2000 年から実施し、ゼンマイなど日照を遮る植物については夏期に刈り取りを行うようになりました。
      5. 堆積層の掘削、除去
      6. 堆積層の掘削、除去は2000 年冬季に外部委託で実施しました。この作業は湿生植物を保護することをめざしての行為のため、植物種によっては同一湿原内での移植、種子保存、栽培して移植するなどの試みをしたのです。
      7. 種子の保存、栽培
      8. ノハナショウブ、ミズギボウシ、ヤマラッキョウなどの種子を採取し、兵庫県立大自然環境科学研究所のジーンバンクで保存したり、 栽培増殖もしていただきました。同所で栽培増殖していただいた苗を2015 年に移植し、植物遺伝子を再び現地で蘇らせることもでき たのです。
      9. 植生調査

    2007 年から宝塚エコネットが保全活動の成果を見極めるためにモニタリングとしての植生調査を10 年間継続しており、多くの新事実が明らかにされています。天然記念物に指定された1978 年に現地に設置された銘板によると、カキラン、オオミズゴケ、サワギキョウ、ヒメシロネ、モウセンゴケなどが確認されています。2018 年には、サギソウ、ノハナショウブ、ムラサキミミカキグサなど約10 種が増加していることが明らかになり、全体にオオミズゴケが広範囲に繁殖しています。このように再生を目指しての保全活動は着実に成果を上げています。

    植生調査

    西谷小学校児童の環境学習

    甦りつつある松尾湿原