西谷の歴史 西谷のはじまり

はじめに

この第1 章「西谷の歴史」では、『宝塚市史』を基に、古代から近現代までの西谷の歴史、西谷の軌跡をたどりたいと思います。
そして、歴史の中でも、人の営み、里山の発達、今日の西谷の各地区につながる村々の成り立ちなどに関係のある史実を中心に、歴史的な側面から里山・西谷をひも解いていきたいと思います。

香合新田で石器の発見

西谷の北部、香合新田(map.B1)の畑の中で有茎尖頭器が発見されました。香合新田で採取された有茎尖頭器は、サヌカイト製で現存長4.1cm、最大幅2.1cm で縄文時代草創期(紀元前1 万6 千年〜紀元前7 千年)のものです。石器の形態から狩猟用の投げ槍の槍先と考えられていますが、伴出する遺物がないので明確な編年や位置づけは不明です。この時代にはまだ弓矢がなく、やや大型の動物を獲物としていたと考えられます。

また、香合新田では石せきぞく鏃も発見されています。こちらは縄文時代中期のものと考えられ、弓矢の先端部につけられたもので、狩猟に使用されたものと考えられます。西谷で発見されたのは石器のみで、その他の遺跡・遺物が見つかっていないことから、これ以上の詳細を知ることはできません。


香合新田採取の石鏃『宝塚市史』  有茎尖頭器『宝塚市史』

西谷の古墳

 西谷では、大原野西部古墳群と呼ばれる2基の後期古墳が確認されています。この古墳は宝塚市立宝塚自然の家の西方の尾根上にあり、従来から地元で「オシヅカ」と呼ばれていた1 号墳と新たに確認された2号墳からなっています。2 基とも径は不明ですが円墳と考えられ、横穴式石室を内部主体としています。1 号墳、2 号墳の石室は全長約5m、幅1.5 mで、奥壁・側壁の一部が露出していますが詳細は不明です。遺物は確認されていませんが、築造年代は石室の形態から考えると6世紀の後半の頃だと考えられています。この古墳群の存在により、6世紀の後半において西谷にも開発が進んでいたことが考えられ、人が定住していたと考えることができます。西谷の歴史を解明する上で、この古墳は重要な存在といえます。