西谷の民俗 西谷の信仰

祖先崇拝

波豆を中心とした中世の石造美術の板碑や宝篋印塔は子孫が祖先のために建てた供養塔です。特に、波豆八幡神社にある板碑は、全国で2番目の大きさで、当時の人々の厚い信仰心の現れといえます。そうした信仰心により、西谷の中世美術が発展したといえます。

普明寺の宝篋印塔

波豆八幡神社の波豆石造美術群

講とは

西谷には、地域の人々が日にちを決めて集まり、特色のある神仏に祈るとともに、宴をしたり食事をしたり、ときには本山や本社へお参りに出かける「講」がたくさんみられます。信仰と娯楽を兼ねた庶民の集まりを「講」と呼び、時代の流れや生活の変化により、簡素化されながらも、地域住民の親睦を深める機会として100 年以上も続いています。伊勢神宮を崇拝する伊勢講、火の神を祀る愛宕講(「あたん講」と呼ばれています)などがあります。中には宝山寺のケトロン(念仏講)、波豆八幡神社の厄除祭り(八幡講)のように祭りとして知られている講もあります。

西谷の寺院・神社

神と仏とを調和させ、同一視する思想、また神道と仏教の同化を示すものを神仏習合といいます。西谷のいくつかの地区では、神社と寺院が近接し、神仏習合の歴史をみることできます。また、西谷の寺院・神社には、鎌倉時代以降の文化財が数多く残されています。

普門寺と境野天満神社(map.B3)

普光寺と長谷素戔嗚神社(map.B2)

佐曽利(上佐曽利・下佐曽利地区)

長谷地区

波豆地区

大原野(東部・西部・中部地区)

境野地区

玉瀬地区

切畑地区

ケトロンまつり

300 年の歴史を誇る念仏行事

ケトロンまつりは、毎年8 月14 日の夜(お盆の前夜)に、宝山寺の境内で行われる燈籠会の一種で、疫病除けとして江戸時代から300年以上続いている健康祈祷の念仏行事です。昭和51 年、宝塚市無形民俗文化財に指定されました。
ケトロンの由来については、行人が突き鳴らす鉦や太鼓の音が「ケトロン」と聞こえるという説や、お盆にお供えする「献燈籠」がなまってケトロンと呼ばれたという説など諸説あります。
大原野地区の子どもたちが西部組、中東部組に分かれ、それぞれが鉦、太鼓、音頭の9 人体制で念仏行人を構成します。行人は黒菅笠、浴衣、白襷、三尺帯、袴、裸足の姿になり、竹につけた六角燈籠を持った役員が四隅を固めます。行人たちは約1 時間かけて宝山寺の山門から本堂まで続く階段を少し上っては立ち止まりを繰り返しながら、地域の人々の健康を祈る念仏を唱えます。

参道を登る行人

未来につなげるための改革

本堂前で念仏を唱える行人

300 年という伝統の中で、改革が行われた部分もあります。その昔、行人は地域の長男のみで構成されていた時期もありましたが、今では女の子の行人も珍しくありません。また、行人を務める子どもたちや家族の負担も軽くしました。
さらに、祭りの中でも行人の名前を一人ずつ紹介・掲示して、子どもたちにも自尊心を持ってもらえるようにしたり、お客さんにも興味を持ってもらえるよう抽選会を行いました。

次世代へと繋いでいくために必要なもの

行人を勤める期間は9 年間、その後は指導者として後進の育成にさらに9 年間携わります。練習期間は当日までの1 週間とはいえ、ライフスタイルが多様化している中で、長きにわたり行人を務めることは容易なことではありません。ただ、幼児から中学生までいる子どもたちがお互いに教えあうという経験の中で一体感が生まれるため、ほとんどの子どもたちが最後まで務め上げます。そういった経験がケトロンの一番の魅力かもしれません。
宝塚市大原野ケトロン保存会では、守り続けてきたものを形に残して後世に伝えていくために、講演会の開催や広報誌の作成などを行いました。

宝山寺本堂